Death and Night and Blood (Yukio)

 昨年古本屋で買った『サンデー毎日』をやっと読んだ。古本屋と言っても開け放したガレージに本棚とカートを詰め込み本を並べまくったような造作で、バザー会場と表したほうが適切かもしれない。コンクリートに放られた段ボールに、「三島由紀夫特集」と書いたメモが貼ってある。

 当時の私は編プロに勤めており、「新人をこの手で叩き直す」が信条の上司、版元の働き方改革による殺人的進行表のせいで昼も夜もなく働かされていた。余談だが、人は理不尽な指導者にあたると嘘をつくようになる。少年ルソーが奉公先の親方の虐待により虚言者として生涯を歩む羽目になったことをご存じだろうか。私も職を辞す前は意図せざる嘘に悩んだものである。さらに関係ないことを言うと、フランス語「Qu'est-ce que vous faites dans la vie ?」は直訳で「あなたは人生で何をしていますか?」だが、一般的には「あなたの仕事は何ですか?」と訳される。本当にいやな気持ちである。

 さて、とにかく仕事にまいっていた私は、週末は休日ですと言わんばかりの装いで出社し自我を保っていた。ビーサン、バンT、サングラス、ぺらぺらの鞄の中にはグミやハイチュウを投げ入れる。追われ続ける日常、旧態依然とした資本主義構造の下流に淀む汲々の生活。失われた日の終わり、私は例外状態の夢を見る。暮らしとも呼べぬ暮らしに終止符を打ちたい。望むべくは死、植物状態、大怪我、しかし折角の若い体を失うのは惜しい。だったら戦争、戦争さえ起こればこんなクソ雑誌、締め切りがどうのなどのたまう奴こそ異常者だ。私も大義の名のもと正々堂々解放されるわけである。カタストロフィーよ!人間を食い破る小道徳を破壊してくれ。

 そんな折、「三島由紀夫特集」の七文字はなんと力強く見えたことか。埃っぽいガレージに踏み込み、どうでもいい青年がうろつく横で箱を覗き込む。確かに中にあるのは三島関連のものらしかった。時間もなく数冊ひっ掴んでレジへ向かう。『サンデー毎日』臨時増刊号「三島由紀夫の総括」はそのうちのひとつだった。

 1970年11月25日、三島は自決した。この臨時増刊号が出たのは同年12月23日のことだから、亡くなってひと月を待たず刊行されたのである。杉森久英氏による「三島由紀夫における人間の研究」にはじまり、人物評、学生たちの座談会、知識人たちの作品批評、居合わせた研究者の証言、何より面白かったのが自身によるエッセイ群であった。三島作品の読後にはいつも陽明門の前に立つような思いがする。絢爛さと緻密さに圧倒されるあまりげらげら笑いだしたくなってしまう。この笑いは慶祝であると弁明したとき三島はどんな顔をするだろう。

 また笑う訳にいかなかったのは中学のころ、同級生のKが『金閣寺』で読書感想文の校内賞か何かを獲ったときであった。自分だけの金閣が遠ざかりよそ者の手に落ちた感覚に襲われ、私はKをひどく憎んだ。あれはKの金閣であって私の金閣ではないんだよ、と言い聞かせ自らを安心させないことには眠れない夜が幾らか続いた。

 ぜひみんなに読んでほしい号だが、とはいえ国会図書館も都立図書館も暫くは開かないらしい。こんな面白いものの存在を知らされたのになかなか触れられない、これは酷だ。どれもこれもコロナウィルスが悪いわけである。オリンピックは中止になるだろうか。三島は競技スポーツが好きで、エッセイの題材にもよく取り上げた。彼は選手たちの身のこなしを「正しい」と描写した。短距離走の選手は短距離走の会場に短距離走の速い人として登場し、その通り短距離走に特化した身体運動を見せつける。舞台と身体が合致すればするほど、役者は金メダルに近くなる。

 三島は舞台演出にも力を入れていた。身体を用いた劇場=スポーツ大会に興味を示さない訳がないのだ。大舞台オリンピックについては言うまでもない。選手たちは国の威信を懸け、徹頭徹尾国章を背負って登場する。こうした初志貫徹の心意気(実際には単なる大会の制度なのだが)も、彼は士道と呼びよろこんだに違いない。

 しかし数週間の大会期間中ならまだしも、人間は弱い、生涯みずからの役を演じ切ることのできる者などいない。三島もこのことを知っていた。なぜなら弱さを知らない者は吃音の主人公など描けるはずないからである。