抵抗せよ

大学に入って、それまで本やネットの文章でしか目にしたことのなかった言葉が生身の人間の発声によって現前するのを体験し、いいところだなと思った。一方で、そうした固有名詞が会話を盛り上げるための気の利いた道具として用いられる場面にも間々立ち会った。誰かが生の実存をめぐって死ぬ気で絞り出した思想を適当に引っ張ってくるだけでユーモア光るインテリ顔ができるのだからお得なものである。こうした態度が死ぬほど嫌いだ。すべての言葉は闘争なんだと言いたい。先人たちの苦悩はぺらぺらのカードゲームに付き合わされるためにあるんじゃない。そして、憎きお前のも含め、私たちの日々ってそんなに軽いものではない。お前の人生はお前にしか歩めない。適当な言葉でごまかすな。何もしゃべらなくてもいい、他人の繰り出すワードに縛られるな。GoogleMapの言う通りに歩いてるだけじゃいつか崖から突き落とされるぞ。毎日毎日殺されるって思っちゃうんだよねと昔友達が言っていた。そんなことあるかなと思ったけれどいまはその気持ちが痛いほどわかる。大学に通える環境にあった私たちにはノブレス・オブリージュがある。勝ち馬に乗った気でいると殺される。常に吟味し、監視しろ。周りのものを疑え。タイムラインを信じるな。自分を既存の形式に売り渡したとき、お前とお前の子どもたちはもうおしまいなのだ。