Situations surrounding the youth (Situation of the youth in the employment ice age)

 自分だけの城があれば何もいらないと思っている。

 本を読み終えたあと私に残るのはいつもイメージや匂いのようなもので、既に具体的な言葉は消失している。言葉はメタモルフォーゼし、ひとつの建材として私の城に息づく。そういう読書こそ読書だ。ほかの人間が詩など諳んじるのを不思議に思う。我を忘れて他人の思考に潜り込むことを楽しみ、よろこび勇んで波間に顔を出して気づく虚空の絶望をお前はどう耐えている?こうした私のアティチュードは、ショーペンハウアーの小論に似ていると思う人もあるかもしれない。あらかたYES、残りはNOだ。

 本は読む者の手足を伸ばすか? YES。本を多分に読むと思考停止に陥るか? YES。読むべき本と読まなくてよい本を見分けられるようになるべきか? YES。古典は素晴らしい?NO。時代の波に耐えてきた本は素晴らしい? NO! われわれが読むべきは古典か? NO! NO!!!

 何度も言わせないでほしい。時代といっても所詮他人の評価だ。誰が何を言った?それで何がわかる? 何が変わる? ルシア・ベルリンの短編集が5刷になった。よいものが売れるとは驚いたがこのあいだ千葉雅也のバカみたいな小説が新潮に載っていたのでほっとした。やっぱり他人はあてにならない。愚か者は鼻でもかんで寝ていろ。

 ひとりで城のまわりを散歩する時間はたいそう愉快だ。いつ来ても靄がかっていて、正確な形は未だ知らない。遠くで塔が聳えている。大きな城だった。あるとき小さい、野の花のような可憐さで佇んでいるマイ・スウィート・キャッスルを目撃したけれどそれもぼやけていて果たして城だったかどうかわからない。いつか全貌を知りたい。屋根のルシアンブルーを捉えたと思ったらもう違った。中はどうなっているのだろう。比類なき美しさ、それとも素朴なあたたかさ、それとももっと違う何か。足を踏み入れた瞬間、もうここを出ることはないと確信するだろう。

 また、こうなることも予想できる。起こり得るはずもない、しかし十分に想定可能、この四半世紀ほど目の当たりにしてきた事柄からして……つまり、そのときはじめて、城など無かったと気が付く。