スイミー

   一昨日、美味しい美味しいおにぎりを食べた。しゃけとじゃこ生七味。とにかくうまい。具、米、海苔それぞれの風味が優れているのは確かだろう。ただ、なんだかよくわからないが、それ以上に総体として完全。どんどん喉へすべりこむ。ふわりと握られた米粒と米粒の間にできる、細かな室に秘訣があるはずだと考えた。店を出る。「水のように食べた」と私、「そんなことあるか」とN。そんなことある、本当に水のように食べたのだった。厳密には、水の中を泳ぐようにすこやかにのびやかに食べた。中学生のころ、川上弘美『離さない』の書評を書く授業があった。エノモトさん、人魚、期末テスト、浴槽、無気力、人魚、私たちの無気力、人魚、声、桜。井上ひさしのルロイ修道士で書かされたときはあんなに強張っていた心身が、すいすいとまるで水中を泳ぐなめらかさに満ちていることに気づく。畳の上の水練とはつまらない諺である。ひとたび泳ぎ方を知った人は、もはやその場所を選ばない。現に、ごく個人的なこうした事例は枚挙に暇がないのだ。私は泳ぐ。みんなもおいで。楽しいよ。