Omnes una manet nox

 コロナがほぼ治った。発症から5日経った。完全に平熱に戻ったのはきのうになってからだった。昨夜は眠る前によく考えがめぐった。仕事のこと、友人のこと、家族のこと。そして飛躍したあれこれがよぎりはじめたとき、それだけ頭が回るようになったことを心底うれしく思った。

 3日目にも熱が下がるタイミングがあったが、あれはフェイク解熱だった。2日つづいた39度のストレスからふっと解放された朝、連日のだらだら残業で散乱した部屋が目の前に広がっている。体温計の数字どおりすっかりいつもの体調になった気になり、洗濯して洗い物して隅々まで掃除機をかけた。洗濯物をコインランドリーに持っていくとき、脳が4分の1くらいしか働いていないことに気づいた。注意の及ぶ範囲が半径50cm以内に収斂してしまうのだ。

 コロナ陽性の判定が出たのは、その夕方再度診察を受けた病院でだった。発熱した日の受診では陰性だった。原因がわかってよかった。年末だったし仕事がどっちみち休みなのもよかった。やっぱりコロナだったと言ったら家族や友人、会社の人が心配してくれた。病院からの帰り道、みんなに感謝の念を抱きつつ、こっちが渡ろうとしてる横断歩道で止まらない車にふざけんなよと大きな声で悪態をついた。脳が働かないと行動は衝動に左右されるんだなと思う。

 1、2日目は単に高熱がしんどかったが、3日目の夜から喉が裂けんばかりに痛みはじめた。龍角散もペラックもトラネキサム酸も効かない。水が飲めず汗もかけず、いったん落ち着いた熱もまた39度に戻ってしまった。細切れにしか眠れずつらかった。頭痛もひどかった。決死の思いで水分を摂り、4日目汗だくになって起きたら熱が下がっていた。そのあと20時間くらい断続的に寝て過ごして5日目のきょうは、喉がまあまあ痛いけど元気、くらいのところまで復活することができた。

 今回のコロナ罹患で、人間は回復するとき、まず身体に栄養を行き渡らせ、次に頭、並行して重度のダメージ箇所の修復を進めるのだと知ることができた。4日目、目を覚ましていたわずかな時間、身体は元に戻りつつあったが頭は4分の1稼働のままで、篠田麻里子の不倫騒動のあれこれを検索してはぼーっと眺めていた。何も考えていない時間だった(ともちんがマリコ様に竹刀で机をぶっ叩かれても微動だにしない動画だけはものすごく面白かった)。

 きょうようやく頭が働きはじめ、放ったらかしにしていた仕事や新しく届いたメールへの対応をする気になった。年が明けたら友達に会いたいな。でも、家の外ではまだ感染症が至る所で猛威をふるっている。この苦しみを知った以上、いままでのように平気な顔して生活していけるだろうか。街へ出るのが怖い。この先ずっとこいつがついて回るなんて疎ましいにも程がある。疫病はいつ終わるんだろう。何はともあれきょうは本が読めるまでに調子が整った。

 長いながい日々の連なりを、果てしない夜ごと夜ごとを、あたしたちは生きのび、運命が与える試練に耐えて、今も、年老いてからも、休むことなく他の人たちのために働き続けましょう。

なんでもかんでもコロナに結びつけるのは悪癖と言うよりほかないが、いざ暗いトンネルを抜けてから『ワーニャおじさん』を読むと、疫病がついて回る世界にどう暮らしていくべきかが静かに示されているように感じた。せっかく日常のままならなさを憂えるほど元気になったのだから、まずはそれを言祝ごう。そして、終わりのない絶望に包まれた日々を生きのび、働いて、寿命が尽きたらおとなしく死のう。すべての者をただ一つの夜が待っている。