厭な家

 父は五人きょうだいの末っ子で、本人も兄たちも姉たちもそれぞれ子どもを二人ずつもうけていたから正月、おのおのが配偶者と家族を連れて実家に集うと居間はほとんど寿司詰状態だった。祖父は足が悪く高さのある座椅子に座っている。祖母は祖父のより少し低めのそれに。男たちはほぼ体育座りの窮屈そうな胡座をかいていた。女たちは正座。トイレから帰ってきたらみな一様に祖父の方を向いて神妙な面持ちをしているのが気味悪く東京から乗ってきた車に戻ろうかとも思ったが角が立つのも面倒で、半分廊下に尻がはみ出る格好で畳のへりに腰かけた。祖父がグラスを持ち上げてなにか言う。聞き取れない。なみなみ注がれた透明の液体はいいちこだろう。まだ飲んでないのにどうして呂律が回っていないのか。脳卒中の前触れかとまじまじ顔を観察していたらまるまるした桃色の頬にひと筋伝うものがあり、泣いているのだとわかった。長女が鼻をすする。一体なにが始まろうとしているのか、もしくはすでに始まっているのか。祖父は少しして口を開く。自らの生い立ちについて。小さい頃に母が死に、父は失踪し、家は川に流れ、姉とふたり歯を食いしばって暮らした。ここで次女と長男が泣く。私の父、つまりこの家の三男はまもなく訪れる祖母の葬式でもそうだったように小さく船を漕いでいた。嫁や婿たちは相変わらず神妙さを保ち、孫たちは真面目な顔で指先や足先をもじもじさせている。祖父が嗚咽を漏らす。腹の調子が悪い。居間を出る。誰もこっちを見ない。トイレには園芸店主の家らしく盆栽の写真入りカレンダーが貼ってあり、こんな小さな木でも紅葉するのかと感心する。暗い廊下を戻ると祖父は戦争の思い出を語っているところだった。特攻隊員に選ばれ、死の恐怖に怯えながら過ごした。いよいよ自分の出立が決まった。明日だ。明日出立する者は今日出立する者に水を汲まなければならない。震える手で仲間に竹製の水筒を手渡す。明日は手渡される側である。本当に嫌だった。死にたくない死にたくないと思っていたらラジオから昭和天皇の声が流れ戦争は終わった。祖父はもはや泣きじゃくっている。嫁たち婿たちも涙を流す。私の母は正座で疲れたのか畳の隅に移動しひそかに脚を伸ばしにかかる。さっきまで寝ていた父は目を赤くしていた。今度は次男がうとうとしている。祖母の表情は読めない。祖母は私たち姉妹の名を覚えていない。祖父も同様である。祖父は私と話すとき気まずそうにする。妹のことは幼子扱いすればよいと思っていて膝に乗せ頭を撫でることで茶を濁している。夏、この家に来ると叔母さんが麦茶を出してくれて、浮かぶ氷は冷蔵庫の味がする。裏の畑でとうもろこしを収穫すると体じゅう蚊に喰われた。玄関までの道の脇の小屋で騒ぐ烏骨鶏が怖かった。番犬ポッキーは黒く小さく、いつも歯を剥いている。戻って手を洗い、真っ先にキンカンを塗りたくる。長男一家もこの家に住んでいて、そこでドラクエをやらせてもらう。インコたちと遊ぶ。コットンという名前の子は自己紹介ができて、桃太郎の一節を暗記していた。長男のうちには大きな絨毯がひかれていてどこを歩いても柔らかく、ゲームもぬいぐるみもたくさんあり、箪笥にはシールが手当たり次第に貼ってあって大きな子供部屋のようだった。一家の三人姉弟はとうに巣立って部屋とインコだけが夫婦に残された。正月には親戚が揃い餅つきをする。男たちは臼と杵でもち米を捏ね、女たちは離れで餅を小分けにし、片栗粉をいっぱい付けた手で成型する。あんこを炊き、きなこを挽き、大根をおろす。今年もその例外ではなかった。爪には粉が詰まり、おろしのツンとした匂いが染み込んで取れない。祖父が居間に集う一人ひとりに言葉をかける。姉妹は名前を呼ばれない。後年、この中に私の名義で勝手に大金を借りた人間がいたと聞いた。好きになれない家だった。