Lust For Life

K氏と電話してほんとにすごくて絶対死なないでほしいと思った。上司にコンビニで売ってた謎のホコリついた袋で仕事のどうみても途中でタイムアップになっただろという成果を送りつけてしまった。キャンドゥがやってなくて封筒を買えなかったのだ。やってたとして、そもそも売ってたかどうかわからない。コンビニで送るにももう集荷きましたと言われ営業所までダッシュしてたら汗とともにあらゆる記憶が流れ去ってしまったのだ。道端で会ったヤマトの人が受け取ってくれてとりあえず発送はできた。サイゼの前で送料を払うとき、行商人からものを買うってこんな感じかしらと思った。もっとも、私はものを手放す側なんだけど。怒られたらほんと嫌だけど甘んじて受け止めなければならない。初めの方はまじめにやったんです……。心は誠実なのに体がついていかない。パターソンのような暮らしをしているつもりで部屋は荒れ狂っている。詩はまあまあまじめに作っている。パソコンに保存してるから犬に喰い破られることもない。ロシアの春は氷の割れるばりばりいう音から始まるという一節を書いたばっかだから温暖化で大地が凍らなくなると詩はノンフィクションになってしまう、私の中でいくらアクチュアルでも。電話のメモに、苦闘そのものを鑑賞、と書かれていた。それは甲子園とかをありがたがるというよりオリンピックを褒め称える姿勢に近いものだと思った。ヒルナンデスの出演者や零度のエクリチュールの人らを眺める私の視点だと思った。K氏の言葉はノートにたくさん残っているがさっきのダッシュで記憶を喪失しているのでどう紡がれていたものかさっぱりだ。ドゥルーズみんな好きなんだな。ドゥルーズが好きだと宣言できるのは宣言を制作できるようなものづくり人間に限るから綜合したりなんだりいうのが肌に合うのかもしれない。自分でも何を言ってるかわからない。メモによると聖書を読めば判断の基準がわかるらしい。きのう青鬼クリアしたばっかりだから、聖書といったら俄然、はんぺん鬼の出る書斎に置かれた小さな赤い本だ。