MJへ、エデン以前の愛

 愛の人、マイケル・ジャクソン。幼いころは彼を悪人だと思っていた。スーパーニュースで観た、わが子をベランダから取り落としかける映像、被告として出廷する道中に車から投げキッスする映像。こいつ、訴えられてるのに、しかも子どもを虐待した罪に問われているらしい、にもかかわらず自分の子を平気で雑に扱って悪びれもせずファンサービス、なんなんだ? 当時のメディアにおいて彼はすっかり奇人変人扱いだった。友達に聞いたらべつにそんなことなかったと言っていたが、実家でマイケルの話をしたとき、両親は彼の肌色の変化について、白人になりたくて変えたんでしょ、そういう話だったと言った。そういう話が大音声で垂れ流された時代だったのだ。視聴率稼ぎのためにぶち上げられた醜悪で最悪な偏見の内面化。「Black or White」を歌った彼にそんなイメージを植えつけるなんて本当に人間のやることか。そしてそれを鵜呑みにしてしまう視聴者も少しは自分の頭で考えろ、過去の自分も含め。妹はマイケルの葬式のシーンだけは覚えてる、棺桶をみんなが運んでたと言った。私もそういう透明な記憶を持っていれば、もっと早くに彼のキングたる所以に気づけたはずだった。

 マイケル・ジャクソンへの嫌悪はいわゆる「ビバリーヒルズ」的な王道スターたちへの抵抗感に形を変え、中高時代の私につきまとった。アヴリルやケイティ、アリアナ、レディーガガ、友達が愛聴するディーヴァたちも、とばっちりでマルーン5やボンジョヴィ、オアシス、ブラーみたいなスタジアムの似合うバンドも苦手だった。街のはずれで半グレがやってる音楽こそが本物だと思っていた。大学で教室の隅みたいなサークルに入ったら、好き嫌いはともかくそういう王道もある程度聴いてきた人が散見される。隣んちからアデルが流れてきたらアデルだなと気づけるくらいの感じだった。しばらく経ったら私もスターの音楽を聴けるようになった。十把一絡げに食わず嫌いするのはよくなかったなと思う。それでようやくMJへの道が整ったわけである。

 ライブ映像のうち、Dangerous Tour、ブカレスト公演(92年)の「Jam」が一番好きだ(Michael Jackson - Live In Bucharest (The Dangerous Tour) - YouTube)。「Smooth Criminal」で斜めになってるとこを除き、最初に動画で観たパフォーマンスだったというのも大きいが、花火とともにバン! と登場するマイケル、やっぱ立ってるだけですげえんだなというのがひしひしと伝わってくる。首の向きを変えただけで巻き起こる歓声、サングラスを投げ捨てたときの興奮! 全身が自在に動き頼もしくリズムとステップを刻む。ズボンの上からTバック履いたような衣装もマイケルが纏うとめちゃくちゃかっこいい。全員熱狂、まさしくキングだった。ダンスの技術とかは全然分からないけれどモータウン25周年の「Bille Jean」では完全にステージを支配していたように見えたし、自分にとって決定的だったのは「Speed Demon」のMV終盤、うさぎとのダンスバトルだ(ライブではないけれど)。なんて楽しそうなマイケル! 愉快な闘いのあとのか細い声と控えめな笑顔はそれまでのマイケル・ジャクソン像を完全に塗り替えた。本当は優しい人なんじゃないか。

 そのMVも含まれる映画『ムーン・ウォーカー』で、マイケルは『第三の男』みたいな影だらけの街を悪者から子どもたちを守るため奔走する。その姿勢はネバーランド・ランチ建設に如実に反映されている。彼は遊園地さながらの自宅ネバーランド・ランチを作り、恵まれない子どもたちを招いて敷地内のメリーゴーランドや路面電車で一緒に遊んだ。子どもはマイケルにとって「小さな親友」だった。私もそういう場所作りたい。『ネバーランドにさよならを』は観る気になれない、無罪判決を信じたい。

 「優しい人」から「愛の人」への認識の変化は、『THIS IS IT』がきっかけだった。年齢を重ね、痩せ細ったMJは、本気で歌っちゃいなよ! リハだけどさ! と乗せてくるプロデューサーに対し、喉を守るためそれはしたくないんだと静かに告げる。照明のタイミングが違うときは違うと言う。バンドの演奏にも注文をつける。パフォーマー、座長としてぶれずに発言しながら(座長だからこれは当然なのだが)、その声色は柔らかかった。今のは怒ってるんじゃないんだ、愛、ラヴだよと微笑む。周りのアドバイスも最後まで聞いて判断する。天使のような人。スーパーニュースと時代の空気と幼いころの自分が憎い。マイケル・ジャクソンは凄い人だ。いま、私は彼を心の底から尊敬している。ずいぶん調子の良い転身だが本当にそう思っている。MJのように、いつまでもエデン以前の愛を抱いていたい。