歯列矯正リテーナーにおけるアナキズム的実践

 最近アナキズム実践の本を読んで心が軽くなった。前の職場では、入ったばかりのころ延々コピー取りをやらされていた。コピー機があるのはフロアの隅、棚に囲まれてうす暗く、頻繁に人の出入りがあるわけではなかった。コピー機は壁に面して二台置かれていて、私は一台でコピーを取り、もう一台を机がわりにして本を読んでいた。会社の業務とはなんらかかわりのない、ドイツ観念論とかの本だった。手を替え品を替え、どうやったら読書とコピー取りを両立できるかを考えた。いろいろやっているうちに本は読み終わり、仕事もコピー取りから実務に切り替わっていた。

 こういうサボりも、アナキズム的実践といえるらしい。「コピー取りを命じられた社員はひたすらコピーを取ること」というフォード的規則の網の目をかいくぐる実践なのだと。懸命にサボって読んだ本の内容は難しくて結局よくわからなかったが、読んでいる間は楽しかった。少なくとも私はある芸当を身につけることができ、それは会社の予期しないもので、なおかつ私のみに利益をもたらすものであった。入社三ヶ月めには社長や上司のいう「社会人として」「この会社の一員として」という言葉にとらわれており、自分もそうならなければいけないと思い込んでいた。あのコピー取りのときに例のアナキズム本を読んでいれば、もう少し楽に働けたのかもしれないとも思う。

 そういう感じで、日々の暮らしも相変わらず程よくいい加減に営めている。このあいだ通販でリュックサックを買ったときの段ボールは捨てられないままだが、洗い物と掃除はした。いまはほっぽりだしたままの段ボールも、成り行きで捨てたり捨てなかったりするのだと思う。

 最近迷っているのが歯の矯正だ。歯並びが良くなったらなと七年くらい願いつづけてようやく来週歯医者に行く。医者に通い、矯正器具をつけ続けるのはできそうな気がしている。ただ、怖いのがそれが終わったあと、就寝時に装着するリテーナーだ。三ヶ月で外せるという情報もあれば、一生つけ続けることになった、という装着者らしき人の書き込みもある。いざ矯正が完了して、後者のパターンだったらいやだなあ。段ボールなら気が向いたときに捨てればいいけれど、リテーナーは気が向いたときだけつけるというわけにはいかない。サボりながらうまいことやる方法、何かないだろうか。