福島第一原発神社

犬を改造する夢を見た。もともと居間では8匹ほど白い大きな犬を飼っていた。毛足の長い犬だった。それらの内臓を切り離してはそのうちの1匹の身体に押し込む。臓器を結ぶ管の感触が手に残っている。ホルモンを噛んだときに似た弾力をたたえていた。6匹の犬の臓器はすべてその1匹の中に詰め込まれた。家族はもともと何匹の犬を飼っていたか数えたことがなかったらしく、気付く気配がない。しかし流石に2、3匹にまで減ってしまえば時間の問題である。どう言い訳したらよいものかと冷や汗をかくうちに起きた。夢の中で私は、犬どもに祟られることもまた恐れていた。わんちゃんがかわいそうとかいう感情は無かった。最近アニマルウェルフェアの問題に触れることが多い。そのときもやはり、動物がかわいそうだから、という論理にはどうしても納得できない。お前がこいつらに呪われるのだ、と名指しされないことには腑に落ちないのである。遠い子孫たちの立ち入りを禁ずるため、炉に屋根を架け、福島原発を「福島第一原発神社」として祀り禁忌の念を呼び起こすプロジェクトを考えた研究者がいるという。私は賛成である。フクシマがどうだったああだったと語り継ぐだけでなく、決して踏み込むな、呪われるのはお前だ、殺されるのはお前だと深淵から呼びかける声を聴かせる仕組みは、少なくとも私のような共感しにくい子どもたちにとってフクシマの記憶以上の効力をもつのだと思う。