コロナ禍(イメージの崩壊)

 テレワークをするうち単語がばらけてきた。言葉を声に出すと、音がでたらめに並んでしまう。たとえば、「スプーン」は「スーンプ」や「スプンー」となる。「ス」で終わることもある。

 誰もが知っているように、ものを説明するとき、どれほど言葉を重ねようとも、それに関するすべてを言い尽くすことは不可能だ。だから会話はずっとやめたかった。心に浮かぶおおまかなイメージは一定の形にしようとするや否やどんどん崩れはじめる。相手は私にその言語化を求める。言い表せば表すほどイメージは思いもよらない方向へ成長し、全部違うことに気づいた時には相手はどこかへ去っている。だから、頑張ってしゃべったって途中でどうせ無駄だと諦めてしまう。せめてその場で意味の通ることを言おうと心がけてはいるが。

 先月末にはふつうに出社していた。必要最小限のやりとりは口頭でしたり、志村けんが死んだねという会話にもなんとか参加した。しかし、いま、単語すら諦めてしまう。スプーンと言ったところでこのステンレス製の匙を完全に示すことはできないし、それなら一文字一文字、ちまちま順番通り発音してやる義理もない。

 この騒ぎが収束し、また他人と空間を共有する日々が訪れたとして、はたして今までどおりに発話できるだろうか。文字を単語に、単語を文章に組み込めるだろうか。不毛さに挫けることなく努力を重ねられるだろうか。

 家に一人、やがて発するのは単なる音のみになったとして私は自分のイメージに忠実になっただけ、べつに発狂したわけではないというのは、いまのうちに述べておきたい。ただ困るのは仕事である。コミュニケーションの一切取れぬそれでいて正気の人間、扱いに困ってクビだろうか。