待つ

 もうもうと立ちのぼった湯気が私の顔や首や頬や腕にぺたぺた貼りつきこの肌を覆いつくしたかと思うや否やひとところにじわじわ集まりついに決壊し垂れはじめた。そっと厨房を見回す。みな忙しそう、な感じがする。汗をぬぐい、寸胴の中身を手鍋ですくって様子をみる。湯の色で麺の具合を見るんだよ、といわれたが目を凝らせどまわりじゅうぼやぼやしていて色もなにも見えたものではない。しかし、やわらかくなりすぎていたら怒られる気もする。蕎麦ごと直接すくって一本つまみ食べてみる。そのときは、こんなもんかな、と思ったが昼休み冨永さんに、あれはもうちょっと茹でたほうがいい、相手は年寄りなんだからやわらかめに、それからむらなく均等な具合にしないと雑な仕事はすぐわかるからねといわれた。そりゃあ、湯なんか確かめようがないし、はなから諦めてて雑かもしれないけど、そもそもあなたが食べたのはへんに固まってどうしようもない麺を、でももったいないと仕方なくゆがいたやつなんだから、しょうがないでしょ不出来でもと思った、しかし、はい気をつけますと返事した。最近、しゃべるのが億劫である。説明してもうまく伝わらなかった例があまりに多すぎたのだ。この間、白い眼薬を医者でもらってきて、差して、視界がちょうどあの寸胴の前にいるみたいにほとんどホワイトアウトらしくなって、じわじわ曇りが晴れてきたころ鏡を覗くと、ふだん透明な角膜が半透明の、牛乳飲んだあとのコップの壁面みたいな色をしていて、眼のふちに真っ白な液体がもたもた溜まっているのもわかっていたく感動したのだが、佐伯さんに話すとかなり平静さを保った相槌がかえってきて、この会話はうまくいかなかった、と感じた。炊事場の人たちはもう長く勤めている顔ばかりで、いちばん近い先輩の油井さんでも三年目か四年目くらいになるらしい。だからか、みななんとなく話すリズムがわかっているみたいで、失敗した会話をここではあまり見たことがない。私はまだ、リズムをつかめていない。つかめるまではあんまり話さないようにしている。本当はきのうも面白いことがあった。住んでいるアパートに帰るまでの道には、家と家の間、地図にも載っていない細い近道があって、幾度となく通ってきたが滅多に人に出くわさない。おとといからの梅雨入りで職場を出るまではざあざあ降りだったが、細道にさしかかったころには傘を閉じて歩けるくらいのぱらつく程度の小雨だった。水たまりを踏まないように慎重に足の置きどころを探していたら、夜の暗がりにぬっとあらわれた影があった。わっ、と驚いた拍子、私は持っていた傘を取り落としかけた。「ごめんね、びっくりしたでしょ」影は果たして、脇の家に住んでいるという老婆だった。彼女は自宅の庭から細道に飛び出ている紫陽花の葉を右手で撫でると、「もう、ナメクジが多いからね」と背を向けようとした。そのとき月の光がさあと射し、方向転換しかけていた老婆の左半身を明るみに出した。彼女は左腕でふたのないクッキー缶を抱えていた。中は透明な液体で満たされていて、そしていくつもの白っぽいなにか、浮遊している小さめのカシューナッツのような、もっと軟らかそうななにかが見える……目を凝らしてわかった無数の縮みかけたナメクジ。この話の面白さは、どうやったらここの人らに伝わるのだろう? そもそも伝わりうるものなのか? とにかく機が熟すのを待つしかない。よく話しかけてくれるのは、変わった鳥みたいな感じの加藤さん。私は彼女にかなりの将棋好きだと思われている。本当はさして興味もないし、二歩で負けるような初心者なのだが、まだ告げていない。見栄を張っているわけではない。ただ待っているだけだ。